少しずつ、PHPの勉強やWordPress関連の情報を仕入れたり勉強したくなってきた。本質はネタを投稿することであるため、それ自体はそのまま続けることにする。少し変化が欲しくなってきた。さすがに白の状態が続くと退屈に感じてくる。白・黒・灰色が中心で生活が回っているのも事実である。壁、家電製品、車、標識などは白である。今こうして利用しているPCも白なのだから。黒だと服、TV、スマホ等。車もなんだかんだ黒をよく見かける。灰色は圧倒的にアスファルトがその情報で占めている。そんな中で異なった色を見かけると嬉しくなるものである。という理屈で色などを少しずつ変化を与えていきたい。そう思うようになったのも自分にとってではあるが、連続でなかったとしても少ないながらも経験をしてきたからだろう。
育てていくとはよく言ったものである。正確には覚えていないがある動画を見て「好きなことは見つけるものではなく、育てていくものである」というような内容だったと思う。見つけること自体も大切なことであるはずだが、見つけても育てていかなければ芽がでない、途中まで育てたとしても枯れてしまうだけである。ただし、決して無意味とは思わない。枯れたと思い込んでいた幹に水やりを行うことで、なんと葉が生えてきたのである。それから成長し枝も葉も増えたのである。木として成長するものは発芽率は正直悪いといっていいかもしれない。10粒以上の種を蒔いたはずが、3つの幹しか土からでてきていないのだから。
植物も、人間同様に個性があるようだ。同じ時期に蒔いたはずなのに、1年後に芽が出ることがあるのだから驚きである。これもとりあえずやってみないとわからないことである。枯らせることなく成長が続くことができるように育てることはできない。ただ、芽が出始める程度なら自分にだって出来るのである。そんな出来ることをゴミとして処分してしまっている。良い悪いは別にして、捨てている種を空いた土地にばらまけば幾分かは勝手に成長してくれる可能性があるのかもしれない。生態系や環境がどのように影響出るかはわからないため、あまり無責任なことも言えないが。
食べ物や飲み物、太陽光などの明かりも勿論必要である。それ以外に栄養も適切な環境も必要である。水をあまり与えなくてもなかなか枯れない植物もいるかと思えば、水をたくさん飲んでいる人。日中が好きな物質もあれば夜行性な生物もいいる。必要な栄養の濃度や種類が異なるのも当然である。早熟があり晩成がある。短命もあれば持続もある。平均もそもそも生まれないことだってあるのだ。
やってみないと芽すら出ないどころか、土にすら還ることなく処分されることだってある。育てなければ枝分かれができない。枝分かれできなければ枯れてしまう。外部を対象に育てるという表現はしても、自分自身を育てるという表現はあまり聞かないかもしれない。家にこもって退屈に感じながらも特に何もしない、仮にやっているとしてもやらされた感、やってしまった感が漂うものは育つこと育てることを放棄しているかもしれない。始めることに遅いということはないようだが、始めることがなければ育つことはないだろう。根のように動いて水を求め、葉のように太陽光を浴び、存在そのものが微生物や虫を引き寄せて花と成す。同様に、動いて欲しいものやりたいことを求め、光を受ける場所を探し、周りに認められて花開くといったところかもしれない。
ああ、眠いなぁ。何を書いているかあまりわかっていない。目がぱっちりの時に読み返してみよう。
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